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ケーブルカー リンク集

一部ではロープウェイやゴンドラリフトなどの「普通索道」のことをケーブルカーということもあるが、日本では「鋼索鉄道」だけをケーブルカーと称することが一般的であり、本項でも鋼索鉄道についてのみ解説を行う。以下、単に「ケーブルカー」とある場合は「鋼索鉄道」のみを指す。日本のケーブルカーの多くは鉄道事業法による鉄道事業免許を受けているが、一部のケーブルカーは遊園地の遊具扱いであったり、旅館内のエレベーター扱いの場合もあるが、本項では基本的に、日本のケーブルカーは鉄道事業法(旧地方鉄道法)に基づくものだけをケーブルカーと定義する。 ちなみに英語でCable carといえば、日本語と同様にケーブルカーやロープウェイを指すこともあるが、一般的にはサンフランシスコ・ケーブルカーに見られるような、軌道下で常に動いているケーブルを車両が掴んだり放したりすることで動くシステムの「循環式ケーブルカー」を指し、日本で見られる「交走式ケーブルカー」とは全くシステムが違う。交走式ケーブルカーは英語ではFunicular(フニクラー)と称することが一般的である(関連項目:フニクリ・フニクラ)。

方式としては以下のものがある。 交走式(つるべ式) 鋼索の両端に車両を繋ぎ、井戸の釣瓶のように一方の車両を引き上げると、もう一方の車両が降りてくる方式。片方をカウンターウェイト(ダミーの重り)にして1両で運行しているものもある。日本のケーブルカーは現在はすべてこの方式である。 循環式 環状にした鋼索を車両から掴ませ、鋼索を循環させて車両を動かす方式。停止するときは鋼索を放す。複数の列車の運転や平坦地での運転もできる。アメリカ・サンフランシスコのケーブルカーはこの方式である。日本には現存しないが、1989年の横浜博覧会で登場した横浜エスケイの「動くベンチ」が循環式の鋼索鉄道として期間限定の鉄道事業法による鉄道事業免許を受けていたことがある。 行き違い地点の線路 (別府ラクテンチケーブル線) ケーブルカーの車輪 (東信貴ケーブル) 交走式(つるべ式)のケーブルカーにはさらに単線交走式と複線交走式がある。複線交走式(複線二両交走式)は2つの車両がそれぞれ別の線路を昇り降りする。単線交走式のうち、2つの車両で運行する単線二両交走式では中間地点を複線として車両の行き違いが出来るようになっている。この線路の分岐部には可動部分がない。これは、車両の片側の車輪がフランジでレールを挟む溝車輪に、もう片方の車輪がフランジがない平車輪となっており、外部から操作することなく溝車輪の案内だけで自然に互いに別の線路を進むようになっているからである。 なお、複線と称していても、必ずしも複線交走式ではなく、単線交走式を並べたものもある。近鉄生駒鋼索線の宝山寺線は2つの単線二両交走式のケーブルカーが並んでいる。 交走式ケーブルカーの線路は、最急勾配が山上側の終端付近に、最緩勾配が山下側の終端付近になるように建設するのが最適とされる。車両の停止も巻上機の操作によって行われるため、停止位置に近づくにつれて抵抗が大きくなる線形であれば、停止操作をスムーズに行うことができる。これに従わない線形の場合、停止時の巻上機操作が難しくなる。 動力は多くが電力で巻上機を動かす方式を採用しているが、車両に水タンクを積み、そこへ水を入れ水の重みで水を抜いたもう片方の車両を引き上げる方式もある。一両交走式の場合は片方は重りなので、水を抜いて重りより軽くなれば上昇、水を入れて重くなれば下降する。この水力式は日本では鉄道事業法の適用を受けたものには例がないが、遊戯施設としては高知県安芸郡馬路村のものが存在する。 車両は外部から引っ張って運転するので動力のための電力の供給は必要ないが、車内照明や自動ドアなどのためにバッテリーや架線、第三軌条などから電力を供給している。パンタグラフがついている車両があるのはそのためである。戸閉機やブレーキの動力源として空気圧縮機や電動油圧ポンプを搭載している例もある。また、傾斜に対して床が水平になるよう、平行四辺形状の車両を用いて車内は階段状になっているか、客室の床と山麓側の車輪との間が大きく開いていることが多い。 架線を有する場合も、架線が一本のみの場合と二本の場合がある。二本の場合、一本が電源供給用で、他の一本は通信用である。 車両の点検・整備のため、両終端駅構内の線路はピット構造となっている例が多い。車両に動力はないものの、急勾配で運転されることから、ケーブルの固定装置やブレーキ装置の点検・整備には、ケーブル自体や巻上機等とともに細心の注意が払われる。 ケーブルカーの軌間は、他の鉄道と直通することがないため自由に決めることもできるが、枕木などの汎用品の利用で有利なことが多いため、日本では多くがJRなどと同じ1067mm軌間を採用している。 乗務員 [編集] ケーブルカーの車両に乗務している乗務員は必ず前方に乗務している。そのうえ、乗務員がいる箇所には、一見自動車のハンドルのような円形や、クランク状のハンドルがあることも多い。このため、よく「運転士」と勘違いされるが、実際には「車掌」が前方確認のために前方に乗務しているものであり、「運転士」は山上側の駅にある運転室に詰めていて巻上機を操作している。円形やクランク状をしたハンドルはブレーキ(留置中の転動防止用の手ブレーキで、線路内に倒木等の障害が発生した際の緊急停止用にも使用する)であり、自動車のサイドブレーキに該当する。ブレーキを空気圧又は油圧作動とした場合は、ハンドルに代えて小型の非常コックやペダルが乗務員席に配置される。ブレーキとしては他にケーブル切断や過速度を検知して自動的に作動する機構を備えており、急斜面で暴走しても停止できるように楔状の制動子でレールをはさみ込む等の方式を取っている。乗務員席には他に通信送受話器(運転士との連絡用)や照明スイッチ類、空気圧や油圧の計器類(ブレーキに空気圧や油圧を用いる場合)、放送機器等が備えられている。

現存する世界最古のケーブルカーは、サンフランシスコで1873年に建設されたケーブルカーである。急坂の多いサンフランシスコにおいて、技術者アンドリュー・スミス・ハレディーが馬車に代わる輸送機関として考案し、建設した。その後、急坂のある地域で路面電車に相当する公共交通機関として全米、さらには米国外の主要都市に建設された。また、山岳における公共交通機関としても建設が進められていった。 日本のケーブルカーの歴史 [編集] 日本では1918年に開業した生駒鋼索鉄道(現在の近鉄生駒鋼索線)が最初のものである。大正時代末期から昭和時代初期にかけてロープウェイとともに全国各地に建設された。しかし昭和恐慌による観光需要の激減により新規建設は途絶え、さらに第二次世界大戦末期の戦局悪化により、もともと観光を目的としたものであったケーブルカー路線は大半が不要不急線に指定され、休止に追い込まれた。生き残ったものは山上にも町があり、観光以外の需要があるものだけだった。 戦後、1950年代頃から生活水準の回復・向上に伴い、観光需要が増加してきたため、不要不急線として休止されていた路線が復活したり、新規に路線が建設されたりした。しかし1970年代以降は、どのような地形でも建設できるうえに、土地買収が少なくて済み、環境破壊も少ないロープウェイが、新しく建設される登山用交通機関の主役となり、かつ国内観光需要が頭打ちとなったこともあり、ケーブルカーの新規建設は止まった。平成に入ると、モータリゼーションの進行(多くのケーブルカー路線は並行する観光登山道路がある)や国内観光需要の低下・観光スタイルが変化してきたこと(以前多かった寺社観光が減少したため、山上の寺社参拝のための路線が影響を受けている例など)などから利用客が減少するようになった。また、ロープウェイと異なり、現在は日本ではケーブルカーの量産や新規設計は行われていないために、古い設備の更新には多大の資金が必要であることもあり、外国から設備を輸入して更新した例もあるが、逆に資金負担に耐えられずに路線が廃止されたところもある。 かつては、旅館内に敷設されたケーブルカーの一部にも地方鉄道法に基づく正式な鉄道扱いのものがあったが、現在では長大なエレベーターやエスカレーターが設置可能になったこともあり、すべて廃止されている(鉄道扱いでないものは、今でも各地に現存している)。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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